山中教授の医学・生理学賞受賞で一気に盛り上がってまいりましたがノーベル賞ウィークは始まったばかりです。

発表予定日時をまとめました。

 9日 物理学賞 午前11時45分(日本時間午後6時45分)
10日 化学賞 午前11時45分(同午後6時45分)
12日 平和賞 午前11時(同午後6時)
15日 経済学賞 午後1時(同午後8時)

※文学賞は直前に発表日が決まります。

山中伸弥京都大学教授の経歴

1981年3月 大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎卒業(23期)
1987年3月 神戸大学医学部卒業
1987年7月 国立大阪病院臨床研修医
1993年3月 大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了
1993年4月 カリフォルニア大学サンフランシスコ校 (UCSF) グラッドストーン研究所 (Gladstone Institute) 博士研究員
1996年1月 日本学術振興会特別研究員
1996年10月 大阪市立大学医学部助手(薬理学教室)
1999年12月 奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター助教授
2003年9月 奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター教授
2004年10月 京都大学再生医科学研究所教授(再生誘導研究分野)
2008年1月 京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長
2010年4月 京都大学iPS細胞研究所長
2012年10月 ノーベル生理学・医学賞受賞決定発表

現在、年齢は50歳とお若いです。出身は、大阪府東大阪市。
小学校から大学一回生まで、奈良県奈良市の学園前に住んでいたそうです。

父親の職業はミシンを作る町工場の経営者だそうです。
医学とはまったく関係ない家庭で育ったんですね。

ご両親共に共働きだったため、鍵っ子でほったらかしだったとか。
とくに塾などにも通ってはいないそうです。
父親と似ていることは、技術者の血を強く感じることとご本人がおっしゃっていました。

自分の道を決定したのは、大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎時代。
将来の進路に迷っていたときにある本に出会いました。

『生命だけは平等だ』徳田虎雄(徳洲会理事長)氏の著書です。

徳田さんの生き方に感銘を受けて医師になろうと思ったそうです。
また、学生時代に骨折を10回以上していたので、医者の道を目指すことは自然な流れだったとか。

研究家だと内にこもるイメージがありますが、山中伸弥教授は意外にもスポーツマンです。
中学・高校では柔道。大学ではラクビー。そして現在はマラソンを趣味として取り組んでいるそうです。

2011年10月にはフルマラソンを走っているというから本格的ですね。こうしたスポーツで培った経験は集中力で活きているとか。研究時にはどうやったら人の3倍研究できるかを考えたそうです。

奥さんは、高校2年生のときに出会った同窓生。
すでに結婚して30年になるということですので、逆算すると20歳で結婚したことになります。

お子様は2人の娘がいます。
娘たちの学校の運動会や発表会の応援に積極的に来られていたとか。
娘さんの同級生とご両親のブログでは「優しいお父さん」と表現されていました。

そんな山中伸弥教授でも、人生の停滞期があったといいます。

ひとつは、それは神戸大医学部を卒業後、整形外科医を目指し研修に打ち込んでいる頃。
患者さんの多くは、関節リウマチや骨肉腫、脊髄(せきずい)損傷など、状態がどんどん悪化していくことの多い病気やけがでした。
それまで持っていたスポーツ医学は怪我を治し、元気に送り出すという整形外科のイメージが覆されて辛かったといいます。
ちょうどその頃、父親を亡くしたことも辛さに追い打ちをかけたそうです。

もうひとつは、1993年に米国留学から帰国して、大学でマウスES細胞の研究を行った頃。
当時の薬理学教室では、すぐに薬につながる研究をしている人ばかりで、基礎研究としてネズミの世話ばかりしている自分に自信がなくなってきたとか。
うつ状態になって朝も起きられなくなり、研究をやめるかどうかまで切羽詰まったそうです。

こう見ると、偉大な成果は簡単にあげられるものではないことがよくわかります。
そんな中で粘り強く頑張るというスポーツの経験も活きているのでしょうかね。

ノーベル医学・生理学賞の授賞式は、12月10日にストックホルムで行われます。
この賞金は計800万スウェーデンクローナ(約9500万円)。

余談ですが、「iPS」のiが小さいのは、「iPod」から着想を得ているそうです。

山中教授、受賞おめでとうございます。
日本人の誇りに思います。